考える人 2017年02月号「ことばの危機、ことばの未来」

 

考える人 2017年 02 月号

考える人 2017年 02 月号

 

特集が気になって、刷新後初めて購入。

色々なところで書かれているように、執筆陣がありがちな人選で内容も薄くなってしまっていた。

表紙も以前の写真を使ったものの方が美しくて好きだ。

(ちなみに私が大好きな号はこれ↓。川上弘美さんが色っぽく読み応えも十分。)

 

考える人 2011年 11月号 [雑誌]

考える人 2011年 11月号 [雑誌]

 

 とはいえ、歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏へのスペシャルインタビューはとても面白い。著書を読みたくなった。

なぜ人間がその他の動物を抑えて、繁栄することができたのかについて。

人間がユニークなのは、見ず知らずの関係であっても大人数で柔軟に協力し合えることです。では、人間にはなぜそんなことができるのでしょう。本の中で私が示した解答は、言語であり創造力であり、架空の物語を作り上げ、みんなが同じ物語を信じられるようにする能力です。みんなが同じ物語を信じることができれば、同じ規範や価値観に従って協力できるのです。何であれ大規模に人間が協力し合うものを考えてみると、宗教、政治、経済・・・あらゆる活動分野で何らかの架空の物語を見つけることが出来ます。神、国家、金銭・・・こうした物語を共有することが人間特有のユニークな能力です。(p.74) 

 架空の物語を共有する、という人間ならではの能力については、平田オリザ氏も言及していたように記憶している。舞台なんてまさに”無いものを信じ込ませる”ものだものな。

大事なのは現実と物語を峻別すること。それには、様々な方法がありますが、私にとっていちばん良い試金石は「痛み」 があるかどうか。何が「現実」で何が「物語」かを識別するためには、痛みを感じるかどうかを考えてみる。例えば、金は痛むか、国家は痛むか。敗戦によって国家は苦しむと思うかもしれないけれど、痛むのは国民であって国家ではない。日本が第二次世界大戦に負けた時、苦しんだのは国家ではなくて日本の人々です。つまり、人や動物は痛むから現実だけれど、金や国は発明された物語でしかない。人間にとっての良い物語とは、世界の痛みを減らすものです。(p.76)

 技術を恐れる必要はありません。技術の進歩にはメリットも多いのですから。大切なことは技術を私たちの役に立たせることであって、私たちが技術の奴隷にならなければ良いのです。そのためにも、自分自身をよく知ることが大切です。(p.77)

 そして、『死の棘』『狂うひと』を巡って梯久美子さんと中島京子さんの対談で、

ノンフィクションについて

中島:でも、ほとんどの人の人生は、誰にも知られないまま終わりますよね。だけど、作家のような人だけが声を出せるという不均衡がそもそもあるわけです。だから、作家は誰にも書かれずに埋もれてしまうものをすくい上げるのが仕事だと思うんです。(p.129) 

 というくだりは、自分の仕事の存在意義とも重なった。

全国森ガイドなど、思いがけず興味深い記事に出くわすのも雑誌ならでは。

相変わらずマイケル・エメリック氏のエッセイは胸に響くものがあった。

アメリカの大統領選挙をあんな風に書き始めるなんて。

肩を落として気の抜けた言葉を交わし、スキューバーダイバーが減圧症を予防するためになるだけゆっくり水面に浮上していくように、あの一瞬の異様な親密さから徐々に身を引き、それぞれの車に乗り込んだ。(p.152) 

 くどくはあるけれど、このように多面的に日常のやり取りが表現できる感覚の鋭さを学びたい。

そして、いつか実際にお会いしてみたい。(情報が少なすぎるよ・・・)

「SUPER FOLK SONG ピアノが愛した女。」

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2017年2本目

「ピアノが愛した」というよりも、「ピアノに取り憑かれた」とでも言った方がふさわしいような

狂気じみた矢野顕子を見ることが出来る。

なんとか録り終えた「それだけでうれしい」を確認している時の表情は、

子供を産み出す母親のようで涙が溢れてきた。

素晴らしいものを作り出す人の生みの苦しみ、そしてその尊さがひしひしと伝わってくる。

結婚指輪を外すシーンは何気ないけれど、この人は母であり妻なんだと改めて実感させられる。

むくんじゃって外れなくて苦笑するところがとても色っぽい。

谷川俊太郎が「実生活が華々しいのに、ちゃんと生きている感じがする」というようなことを言っていて同感。

矢野顕子の歌詞や音楽性は、ともすれば滑稽に見えてしまうけれど、

説得力や母性を感じさせるのは、彼女がしっかり生活しているからなのだと思う。

どこまでも昇りつめていきそうな野生的な準備運動の片鱗は、この動画の最後でも見られる。


Akiko Yano & Michiko Shimizu - Hitotsudake

 

「老舗の流儀 虎屋とエルメス」黒川光博、齋藤峰明

 

老舗の流儀 虎屋とエルメス

老舗の流儀 虎屋とエルメス

 

 2017年1冊目

尊重し合っているお二人の対談形式のため、

どうしても説教っぽく聞こえてしまうし、矛盾しているような部分もあった。

でも、齋藤さんのインタビュー記事を見かけたとき、その気品ある佇まいに驚いたことをよく覚えている。

その佇まいこそが全てを物語っている。

齋藤:エルメスは、流行ではないし、ファッションでもないし、ブランドですらないと思っています。(p.16)

齋藤:どうやって新しい商品を世に送り出してきたかを説明すると、年に二回、大きな展示会を行うのです。職人たちが作った新商品を20万点ほど並べるのですが、徹底して吟味していくので、半分以上は商品化に至らない。最終的に、パリのフォーブル・サントノーレ本店に並ぶのは、ほんの2割程度。選び抜かれた一握りの商品だけが、新たに世に出ていきます。効率で言えば決して良くはないのですが、「長きにわたって愛用してもらいたい」という意思を貫き、こういうものづくりを続けてきたのです。(p.17) 

黒川:どこの地域のどんなお菓子屋さんでも、菓子の存在価値は土地とのつながりにあることを、身をもって理解してくれたのが何より嬉しかったですね。(p.23) 

齋藤:機械生産によるのではなく、「職人の高度な手仕事」 を守り続ける道を選ぶとともに、車が主たる移動手段になる中で、必ず求められる「バッグ」という領域に踏み込んだ。つまり、生業を馬具ではなく、「職人の高度な手仕事」に置いた。今でこそ、正しい判断とされていますが、当時を振り返ると、周囲は工業化一辺倒だったわけですから、職人の手仕事を選んだのは、いわば時代に逆行することです。(p.24)  

ノキアン協会(The Henokiens。1981年に設立された老舗企業の国際的な団体で、創業以来200年以上の社史、創業者の子孫が現在でも経営に関わっていること、現在でも健全経営を維持していることなどが加入資格。パリに本部があり、イタリアやフランスを中心に欧州8か国と日本で46社が名前を連ねる。日本企業では虎屋のほか、法師、月桂冠岡谷鋼機赤福ヤマサ醤油、材惣木材、中川政七商店の8社が加盟)(p.130)

 齋藤:フランス人にとって、ディズニーランドは、子供を連れて行って遊ばせる場所以外の何ものでもない。フランスのディズニーランドは大赤字で、本社が何千億円かを投入して何とか盛り返そうとしています。(中略)この日本人のノリ自体、僕は決して嫌いじゃないのですが、果たして日本人にとって、そこまでディズニーランドは大事な存在なのか。そもそも、日本人が楽しいこととは何なのかについて、考えてしまいました。(p.155)

今日本では非日常にまつわる消費が活発だけれど、この着眼点は盲点だった。確かにこれは、日常が楽しめないから非日常に走る、とも言えるのかも。「自分一人で時間を潰すことができる能力を教養と呼ぶ」と言った中島らものことを思い出した。

齋藤:日本は、日常生活をきちんと営んでいくことを、大切にした方がいい。繰り返しになりますが、そこに第三者が価値を見出しているのですから。(p.204)

拡大路線はもう終わり、真摯にものづくりに向き合う、これは確かに分かっていることだけれど、今は20世紀的消費社会が持続社会に変わりつつある過渡期。構造的問題に屈せずどこまで踏ん張れるのか。足を引っ張り続ける企業の行く末は。 

型にはまらない人生

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in Viet Nam

「お互い楽しい人生を歩んでいこう」。

その言葉を気兼ねなく言える友人はかけがえのない存在だ。

ともすれば不満や後悔の念があふれ出しかねない30代の集い。

でもこの日は、互いにその人らしい人生を歩み、さらに磨きをかけようとする友人たちが集まった。

ジュネーヴを拠点にグローバルに社会貢献に従事するE、

出雲で3人の子供を育て、夫が田舎で診療所を出した際にはカフェを併設しようと夢見るN。

さて、私はどうだろう。

願望としては、自然と共存できる家で暮らし、子供を持ち、

仕事にもやりがいを感じながら自然の豊かさと社会の変化の両面を感じて生きていきたい。

彼がスポーツの道にいくとしても、介護の道にいくとしても、

その事業がもっと良くなるような面白い関わり方が出来ればと思う。

型どおりにはまりそうになったら、ふと立ち止まって遠くの友人たちに思いをはせよう。

型に自分をはめるのではなく、自分から道を作っていく気持ちで。

「この世界の片隅に」片渕須直

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2017年1本目

寝る間を遮られるように空襲があり、日を追うごとに貧しくなっても、あるもので工夫し、日々を楽しもう、生きようとする姿勢。

男達が戦いに飲み込まれる一方、蚊帳の外の女達は、目の前の生活を守り抜こうとひたむきに前を向く。

だからこそ、あの玉音放送が流れたときの、すずの振る舞いが胸に迫った。

信じて耐え忍んできたことがひっくり返されるあの虚無感。だったらなんで・・・と憤りが浮かんでは消えただろう。

日々の生活に多くを求めず、工夫して楽しむ。その尊さが、結婚した今だからなおさら響く。

「いざとなったら戦争に」と言う彼と、「そうなったら海外へ」と譲らない私。

「それって逃げてるみたい」と反論してきたけれど、

「子供を守るためならなんだってするよ」との私の言葉にハッとしたように見えた。

男は火がついたら周りが見えない。

いざとなった時に家族を守るのは女なんだ。

2016年読んだもの観たものなど

読んだ本 23冊

 永い言い訳/ことり/昨夜のカレー、明日のパン/土佐堀川/リアル行動ターゲティング/異類婚姻譚/死んでいない者/悲しみの秘儀/東京という主役/乳房の文化論/結婚式のメンバー/私のなかの彼女/へろへろ/断片的なものの社会学/vanitas002/物流ビジネス最前線/ラストワンマイル/コンビニ人間/ホームスイートホーム/問題は英国ではない、EUなのだ/服従/となりのイスラム/建築家の清廉

 1.「断片的なものの社会学」岸政彦(朝日出版社

  取材する中で、書きたい趣旨とは関係ないけれど、その関係ない話が最後まで印象に残っていたりする。そんな行き場のないエピソードにいくつも出会ってきただけに、岸さんの着眼点が心に響いた。日の目を見ることのない愛おしいエピソードの切れ端。でも、それが人間の本質で真実。気持ちが揺さぶられたくせに、芥川賞候補者リストに岸さんの名が挙がっていてもこの本と結びつかなかった。己の衰えを感じた。

 2.「悲しみの秘儀」若松英輔(ナナロク社)

 大切な親族を失われた方ということで、読む前からシンパシーを感じていた。自分の気持ちを書き記すこと。思ったように言語化できなくても、それを世に生み出すことが出来るのは自分ただ一人だということ。ブログをまた立ち上げたのも、この本に触発された部分がある。婚前旅行を終えた矢先に大失恋した知人が書いたブログ。きっとあまり読まれていないだろうこの日記を数年後に私が見つけ出し、感じ入るものがあったのも、その時に不安定な気持ちを吐き出した行為があったからこそ。「愛するということ」をなぞるような感覚にもなった。

 番外編:「あひる」今村夏子(「たべるのがおそい」より)

 「こちらあみ子」で強烈な印象を残した今村夏子さんの新作が掲載されていることで買った「たべるのがおそい」。改めて文庫でも読むつもりなので番外編として挙げる。静かだけど不穏な空気感。書かれていることはシンプルなのに、不気味さを感じさせる世界観が素晴らしい。「コンビニ人間」よりも俄然こちらを推したいし、小川洋子さんが推していたのもすごくよく分かる。「コンビニ人間」しかり「異類婚姻譚」しかり「スクラップアンドビルド」しかり、最近の芥川賞は突飛な設定で軽いタッチの作品が多いように感じる。その点「火花」は純文学の佇まいがしたし、「あひる」もそう。シンプルでありながら心にしっとりと余韻が残る作品が賞を取ってほしい。

 

 観た映画 22本

 ニュースの天才/グッド・ストライプス/アメリカン・スプレンダー/フレンチアルプスで起きたこと/キャロル/ザ・トゥルーコスト/これが私の人生設計/ルーム/ハッピーアワー/シング・ストリート/クレイマー、クレイマー/はじまりのうた/パシフィック・リム/遠距離恋愛/インセプション/永い言い訳/シン・ゴジラ/君の名は。/犬神家の一族/聖の青春/めまい/レナードの朝

 1.「ハッピーアワー」濱口竜介

 総じてみんなミスコミュニケーション。言葉を交わしたとしても真に分かり合えることなんてない。そんな後味は「親密さ」と同じ。でも、そんなに分かり合えないものなのかな?すれ違ってしまうものなんだろうかと不安を覚えたのは、主人公たちの年齢と私が近いからなのだろうか。「親密さ」での交わらない電車は、分かり合えないけど前進するという未来的希望に映ったけれど、今回は切なさが先に立つ。

 2.「シング・ストリート」ジョン・カーニー

 単純に音楽が楽しい、主人公たちが可愛い!音楽愛にあふれている作品。「Drive It Like You Stole it」のシーンは曲の魅力とあのキラキラした切ない空想が合わさって涙がこぼれた。広島のサロンシネマがこちらも映画愛にあふれていて素晴らしく、それも含めて良い映画体験だった。

 3.フレンチアルプスで起きたこと 

 ああ、いじわるな映画、という印象。でもこういった普遍的な人間模様を描いた作品は大好き。

 

 その他

 今年は短歌に挑戦したり、香木の香りを聞く「聞香」やアロマオイルの調香体験など、自分の関心が絞れてきた一年だった。関心があるのは、言葉、天然の香り。短歌教室にはなかなか顔が出せないけれど、自分の感傷的な部分をこんなに表に出して良いのか、という開放感が気持ちいい。そして、それを受け止めてくれる人たちがいることも。調香体験では、「うっそうと緑が茂る公園」というイメージを伝えただけで、「陽よりも陰、低体温、子供っぽさは一切いらないということですね」と好きな世界観を理解していただけて驚いた。言葉の選び方にしろ、香りにしろ、感覚を研ぎ澄ませることは物事に対しての解釈の幅も広がっていく。これからもどんどん磨いていきたい。

「建築家の清廉 - 上遠野徹と北のモダニズム」(建築ジャーナル)

 

建築家の清廉―上遠野徹と北のモダニズム (建築家会館の本)

建築家の清廉―上遠野徹と北のモダニズム (建築家会館の本)

 

2016年23冊目 

目利きで関心の幅が広い広島の専門店のオーナーが、理想の家、大好きな建築家として挙げていた。

自然の力に敬意を払い、出来るだけその土地の素材を使用し造られた住居は知性あふれる佇まい。

 緑がすぐそばに感じられる平屋造り、視線が低い日本的空間に配置される北欧家具、大きな窓から入ってくる暖かな日差し。

日本家屋に憧れる私にとって、たまらなく魅力的な作品の数々。

ここまで広い家は求めずとも、いつかこんな佇まいの家に住むことが出来るだろうか。

美を追い求める人が最終的に行き着く先は家作りという。

もしそんな機会が訪れた時にうろたえないよう、美に対する考えを磨いていきたい。

厳しい自然の環境の中で人は自然の凄さに憧憬の目を向け謙虚になり、自然を受け入れ共に歩む。 (p.15  兼松紘一郎)

この記述はアイスランドの人々とも重なる。

寒空の中、小窓から見えるのは間接照明の暖かな光とキャンドルの仄かな灯。

家族で幸せに暮らしていることが伝わって来る、オレンジ色に染まったダイニング、本棚。

レイキャビクの夜の住宅街を歩いた時の、心の中に火が灯るような感覚が忘れられない。

レーモンド夫妻の初めての来道と残された聖ミカエル教会の遺産は、北海道建築史上に残されるべき価値ある事項だと思います。私は、1992年にキリスト教に入信し、日本聖公会聖ミカエル教会に所属し、この教会を今でもお守りし続けることができ、また日曜日ごとに良質なレーモンドの建築の中で、お祈りできる喜びと感謝でいっぱいです。さらに、行き届いた手入れを加え、長持ちさせ、人々に感動を与える建築でありたいと考えています。(p.26)

 

家族はコタツに温まりに来るので、食事の時は必ず会話が始まる。子供達はケンカが始まる。よく言われることだが、寒い住宅では家族の距離は近くなる。(p.68  瀬戸口剛)

 

今の北海道の住宅は冬の快適さばかりを追い求めて、夏の豊かな暮らしを見失っている。快適さと豊かさは全く違うものだ。(p.69  瀬戸口剛)